平成29年10月14日(土)、もりおか復興支援センター主催で『もりおか街歩き 旧町名で辿る盛岡中心市街 仁王小路~長町~茅町~材木町』が行われました。
参加者は19人、ボランティアさん2人を含めて21人での街歩きです。
今回は盛岡の中心市街地である中央通り周辺を巡って、盛岡最大の夜市「材木町よ市」でにぎわう材木町まで2時間半ぶらぶら歩くコースです。
仁王小路は今でいう中央通3丁目。日本初の西洋式製鉄高炉を釜石市橋野に完成させた幕末の南部藩士大島高任の生誕地や、石川啄木と妻節子が新婚の3週間を過ごした「啄木新婚の家」などがあります。
長町は現在の長田町。江戸時代に整備されてから一直線に長い町です。ここには、かつて釜石栗林から義に拠って立ち、幕末最大の一揆「三閉伊一揆」の指導者となった三浦命助の最後の地となった牢屋敷「長町ご牢」がありました。
近くにある盛岡市の保護庭園「武田邸」にて皆さんに三浦命助のお話をしますと、釜石出身の皆さんは「栗林の人だね」「地元に石碑がある」と口々に話されていました。田野畑出身の方は、三浦命助の先代指導者が田野畑村の佐々木弥五兵衛と畠山太助という人物であることを教えてくれました。
茅町は現在の材木町の北半分、かつての材木町は現在の南半分です。着いた時にはもうよ市が始まっていましたのでここでいったん解散。希望者10人ほどで材木町の見どころ2か所を回りました。小僧に化けてお酒を買いに来たという伝説のある「酒買地蔵尊」、宮澤賢治が生前出版した唯一の童話集『注文の多い料理店』を刊行した「光原社」を巡り、残った時間でよ市での買い物を楽しみました。
細かい路地をぐるぐると回る道程だったので、皆さん盛岡の土地勘をつかむのはかえって難しかったと思いますが、釜石を中心に盛岡と沿岸の繋がりを知る機会にしていただけたなら何よりです。
ご参加の皆様、見学先の皆様、誠にありがとうございました。